続・「オルタナティブな現実」が覆う未来を考える。

前回に引き続き、竹田ダニエルさんの『アメリカ「オルタナティブな現実」が覆う未来』を読んで、考えたことや感想を書いていく。(総合雑誌 世界2024年12月より)

     

     

『ギリギリ生き延びる大多数の人々』という小見出しの記事が載っている。この本文は全文読むことで今のアメリカの状況がはっきりと分かる。しかし、全て引用すると長くなるので、ここには引用できない。とにかくこの記事は素晴らしいのである。この記事が『認知の不協和』を表していることが、小説に似たような感じもあって、とにかく読んでほしい記事である。

  

この記事がとにかく私に心に響いたということで取り上げたこともあるのだが、前回の続きと繋げていく。オルタナティブファクトについて嘘を人々が信じることで、嘘が事実になることではないかと書いた。

  

ざっくりと何となくまとめる『ギリギリ生き延びる大多数の人々』の内容は、”アメリカの大多数の人々は現実では競争させられ、休む時も与えられない。SNSでは、机上の空論の理想の世界が現実の世界と混在している世界を見させられている。その間に、現実では問題点は解決されないどころか、どんどん深みにはまっていく。”といった感じだ。

  

原文を読むと、これが本当ならアメリカは地獄そのものではないかと思ってしまう。そのくらいの内容が書かれている。もし私がその立場にいるのであれば、SNSの自分の信じたい情報をただただ信じることしかできないのかもしれない。

  

なぜなら、がむしゃらに目の前のことに努力をし、上に行くことを要求されて疲弊しているときに、本当に向き合わなければいけない辛い現実を見れるかと言ったら、見れないと思う。SNSでは自分の興味をそそるコンテンツがあったら、そっちを見てしまうだろうし、そのSNSにある情報をよく調べもせずに、信じ続けてしまうのではないと思う。

  

社会で生きていくことに必死で、自分の世界の延長線上にある戦争や気象異常などは、あると分かっていながらも考える余裕がなく、自分の世界から排除してしまう。

  

自分に決定権がないことも、問題への関心が無いことへの大きな理由になってくるのではないかと考える。自分で政治的なことや国際問題について考えても、何かに影響を与えるわけでもなく、何かが変わるわけではないからだ。そんなことを考えている時間があるなら、自分の将来のためには何を努力する必要があるのかを考えたほうが、周りの社会とも話が合うことのが多いのではないか。

   

                    

結局、正しい情報とは何か。

            

『最新のニュースを得るために、このプラットフォームを仕方なく使い続ける人は多い。なぜなら、メディア企業は崩壊しつつあり、「信頼できる」と感じるニュースメディアがほとんど存在しなくなってしまっているからだ。』

                

自分に都合のいいような情報しか出さなくなっており、ジャーナリズムは機能していない。地元の新聞が全くないことを『news desert(新聞砂漠)』というらしい。情報の入手源も限られているなかで、嘘がほとんどの社会のなかで本当の現実を探せるのか。

            

                

感想

考えるというより思ったことをただ書いたものになりました。

     

オルタナティブな現実やオルタナティブファクトという言葉を私はこの記事で初めて知りました。信じられないような世界な感じがします。この私が生きている世界にそんな世界が存在することがあるのかと、現実とは思えないです。

   

文章を考える力が尽きて、最後のトピックはとっても短くなってしまいました。

    

日本でも今、メディアへの不信感はとっても募っていますよね。SNSはもともと玉石混交の情報があるから、気をつけるよう、鵜呑みにしないようにインターネット初期から言われていたと思います。そのSNSで信じたい情報を信じるという暴力を私たちはこれからしないようにするために、どのようにしたらいいのでしょうか。

     

これからも考えていけたらいいなと思います。

   

  


  

これで今回のブログは以上です。感想や意見お待ちしております!

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