読書日記

読書日記(ロシア文学を読む日々)7月1日―7月5日

7月1日

『小悪魔』ワルワーラが親友のグルーシナに騙されて、全身をイラクサで叩かれる。イラクサには細い針のような毛が生えていて、一見すると普通の植物なのだが、触れるとヒリヒリした痛みが走るそうだ。

 植物で身体を叩くという行為は、ロシアでは蒸し風呂でごく普通に行われている行為である。ちなみに、この場合は葉のついた白樺の枝を使う。これによって、血行が促進されるのだそうだ。

 しかし、一方で白樺は笞刑にも使用されていて、『小悪魔』でも、子供のしつけに、白樺の枝で身体を打ち据える描写がでてくる。ちなみに、『カラマーゾフの兄弟』にも子供に対する笞刑の話が出てくる。

 

7月2日

 『カラマーゾフの兄弟』大審問官を読み終えたので、それについて書きたいのだが、どうも長大な文章になりそうである。数日にかけて書き分けるというのも考えたが、時間をとるのがなかなか難しそうだ。

 というわけで、ここは戦略的撤退、毎日作品を読み進めて、読書日記を毎日続けられる方を選びたいと思う。いつか、時間があるときに大審問官については自分なりに考えたことを書いていきたい。

 この大審問官については、本当に色々な人が文章を書いているので、みなさん調べて読んでみてください。

 

7月3日

 文学作品は現実世界の物事とは基本的に直接的な関係を結んでいるわけではない。作家の想像力というプリズムを通した形で作品内に表出される描写はどれだけリアルに感じられようと、それは現実を屈折させたフィクションである。

 だから、小説を読むときに最初にしなければならないのは、安易に現実世界と小説世界を繋げながら読むのではなく、その作品の世界を味わいつくすことである。

 まずは、素材の味を味わい尽くす、そして自分の置かれた状況や、現代の社会問題という調味料を加えて小説を味わうのはその後である。

 それが小説を読むときの自分のスタンスであるのだが、そうすると読書日記があまりにも日記離れしたものになるような気がしている。つまり、没時代的で没個人的になりすぎるような気がするのである。

 自分が生きているこの世界、それを直視せずに小説ばかり読んでいるような気がしてしまう。時代と無理に寝る必要はないだろうが、時代と踊るくらいの距離感で、なんとか自分の読書体験と自分が暮らす社会を繋げるような日記を書けないものだろうか。

 

7月4日

 『小悪魔』ソログープは、人工的な美、特に植物を使った美の描写は得意なのだが、女性の肉体の美しさの描写に関しては、あまり得意ではないようである。ちなみに、ソログープの世界では女性の肉体の美しさも、美術館の裸婦像のように、人工的な美しさの象徴であることを断っておく。

 

7月5日

 『小悪魔』自分が迫害されているというペレドーノフの妄想が激しくなる。それにしても、彼の人間的つまらなさを表現するために、彼が他人との会話で、自分の住む町のゴシップでしか盛り上がれないという場面描写は秀逸である。

PAGE TOP