継続って難しい(独り言)
「思い立ったが吉日!」と言いながら、我流で物事を始めてしまう人間なので、しばらくすると躓きが生じ、めんどくさくなり、三日坊主で終わってしまうというサイクルを繰り返す人生だったような気がする。
過去形で書いたので、「おい、おまえ死ぬのか」と思われる方もいるかもしれないが、もうしばらく生きるつもりである。期待された方がいたら申し訳ない。
明治の文豪幸田露伴は『努力論』という書物で、「着手の処」を考えるべきだと述べ、物事を始めるにあたり、「どうやって始めるか」を考えることの重要性について書いている。
この、「どうやって始めるか」はとても重要で、元来物忘れが激しい私が忘れないうちに物事を実行に移せるのは、「どうやって」へアクセスできるスピードがインターネットによって高速化している点が大きな理由であると思う。
つまり、思い立った瞬間に着手の方法を調べられるのだ。
例えば、ウェブサイトの作成。サーバーレンタル、ドメイン取得、デザインの制作という流れはインターネットでぱぱっと検索でき、適当なまとめサイトを見ればわかりやすく解説してある。そして、そのサイト通りにすれば初心者でも「それっぽい」ものを作ることができるのである。このサイトもそうやって生まれた。
しかし、このインターネットで適当なサイトを見て、その通りに着手するという方法はけっこう曲者で、「それっぽく作った後の工程」に繋げるのがめちゃくちゃ難しいのである。少なくとも私にとっては。
そもそも、希代のめんどくさがりなので、時間がかかることはやりたくない性格が災いし、毎日コツコツと言われた瞬間に絶望で頭が真っ白になってしまい。とりあえず布団に入って今日のコツコツ分のエネルギーを仮眠によって充填しようと真っ白な布団へもぐりこむ。そうすると決まって、目が覚めた時には太陽が空に輝き、翌日の朝が始まっているのである。私の頭はまた絶望で真っ白になってしまうのだ。
「それっぽい」ものをぱぱっと作った後は、同じようなペースで「それっぽい」オプションを追加し続けることができるのではないかと勝手に期待するのであるが、そうは問屋が卸さないのが現実である。
つまり、ベースをそれっぽく作った後の改良に次ぐ改良を可能とする技術習得のプロセスの地味さとペースの遅さ、そして理解しなければならない項目の多さに絶望してしまうのである。
なまじっか着手の時点の速度が高速である分、その後の工程の速度の落差に落胆してしまうのだ。
まぁ、この問題に関しては「継続は力!」みたいなスローガンを壁に血文字ででかでかと書きながらモチベーションを自分で維持していくしかないのである。勝手に期待して、勝手に落胆する人間ほど周りから見て滑稽な者はいないだろう。
ただ、他の問題もある。初心者用の解説サイトというのは、「結果」を作ることに特化しているので、指示に従えばそれなりのモノができるのは確かだがそのモノを作るための仕組みを理解できるわけではない。ただただ公式丸暗記で数学の問題を解くようなものである。仕組みはわからない、しかし問題は解ける。(ただし決まった形に限る。)
というわけで、始める際はネット情報でもいいのであるが、それを続けて極めようと思うのであれば、我流でインターネットを彷徨って断片的な情報をかき集めるよりかは必要な情報が体系的にまとまっている入門書を読んだ方がいいのではないかと思った今日この頃である。