読書日記

日記と澁澤龍彦と

 三島由紀夫が『文章読本』で、文筆で身を立てたいのであれば、まずは毎日一定の量の文章を書くことであるというような事を、海外留学した美術大学生の例を出しながら書いていた。それを読んだときは、「毎日文章を書こう」と思ったのだが、中々これが難しい。何かと理由をつけて書かない日が続き、3ケ月くらい何も書かないときもある。そもそも文筆で身を立てようという意思が薄弱なので、生活の中の優先度が低いのである。

 5月末に文学フリマへ足を運び柿内正午の『プルーストを読む生活2』を買って触りを読んだ。私も毎日読書日記みたいなものが書ければいいなと思ってからはや1ケ月。それから今日まで読んだ本に関して文章をしたためていないので、やはりなにかしらの習慣を作るというのは容易にはいかないようだ。

 しかし、何かしらの刺激が加わると、やはり文章を書きたくなってしまう。今回の刺激は澁澤龍彦のエッセーである。

 『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(1990年、立風書房)は澁澤龍彦の死後出版されたエッセー集である。帯には「澁澤龍彦最後のエッセー集」の文字が並ぶ。澁澤龍彦の文章が私は好きだ。恐れ多い話だが、いつか澁澤龍彦のような文章を書いてみたいと思う。では、彼の文章のどのような部分が好きなのか、私は何度もそれを文章化しようと試みては消し、試みては消し、という営みを昨日から繰り返している。おそらく思い入れが強すぎて上手い言葉が見つからないのであろう。毎日文章を書いていればいつか上手い言葉が見つかるようになるのだろうか。

 簡単に今一番しっくりくる表現をすれば、澁澤龍彦の文章は、その文章から得た知識や感動が実生活で全く役に立たないところがよいのである。海辺で拾った美しい貝殻、散歩途中で見つけたきれいな石、そんな些細で個人的な感性に支えられたコレクション達で作成されたオブジェのようなもの、それが彼の文章なのである。

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