お知らせ&新しい情報,  幼女独裁序説

ブログ始めました(再)

 これは個人ブログの記事の再掲です。(「幼女独裁序説」)

 恐ろしいことに、昨年の2月に「ブログ始めました」というような趣旨の記事を掲載してから何の更新も行われていないブログがこの世界には存在しているようです。はい。このブログです。

 そもそも、このブログの存在自体を忘れていた私。インプットだけでなくアウトプットをしたいな、と今年に入ってからずっと思い続けていたわけですが、本日やっと思い指を上げキーボードを叩き、文章をこしらえた時に、ふと、「そういえば、ブログ作らなかったっけ?」と思い出したわけです。

 「「幼女独裁序説」?けったいな名前のブログを開設したものだなぁ、過去の自分は。」と、今の自分は思ったわけですが、問題はそこではありません。なぜ、一年以上もブログの更新がされなかったのか。それが問題なわけです。

 自分なりに考えてみたわけですが、やはり一番の要因は「上手くやろうとしていた」ことだと思うのです。私は文章を書くのが好きです。おそらく文章を読むのと同じくらいに好きです。現に今この文章を書いている私はわくわく、どきどきしています。自分の表現したいことをうまく言語化できずに、むずむずすることはあるけれど、やっぱり自分の中にある何かを文字化して表現することはいいことです。

 しかし、文章を書いているとふと思うのです。「それなりの年月を生きてきて、大学も出て、本も他人より読んできて、それでいて、こんな文しか書けないのか。」

 そう思い始めるともう終わりです。書きかけの文章は溜まっていく一方。いや、書きかけているならまだいいのです。頭の中で文をこねくり回し、自分が納得するまでパソコンの前に座らない始末。そして、色々と理由をつけ(「時間がない」「仕事で疲れている」)、文章を書くという行為から離れていくのです。

 嗚呼。なんと悲しいことでしょう。楽しかったはずの文筆活動が、「上手くやろう」という意識が先行するあまり、なんとつまらない苦行に堕ちていくことか。そういう時、私はほろほろと涙をこぼすような気持で、深夜のコンビニへ向かい、あんまんを食べます。

 深夜に食べるあんまんは美味しく、お腹も満たされるのですが、心は満たされません。私は何かしらの形で私を表現しなければ生きていけない人間なのです。たぶんね。

 というわけで(どういうわけで?)、このブログは息を吹き返すことになります。純粋に文章を書くのが好きなら、公開領域にアップしなくてもいいじゃないかと仰る方もいるかもしれません。しかし正直なところ、私にも承認欲求はあるのです。私しか読まない文章にどれほどの意味があるのだろうか。同じ人にしか読まれないのならば勝手に生み出された文章も不憫です。

 他人に読まれる文章を書くという行為は諸刃の剣です。書く時の気持ちがきゅっと引き締まります。だらだらと誤字脱字だらけのしょうもない文章を書き連ねるのも良いけれど、せっかく文字の連なりとしてこの世界に生み出されるのだから、「きれい」な文章になっていた方が書かれた文章にとっても幸せでしょう。一方で、「他人に読まれるのだから」と気負いすぎると、文章を書くのが苦行になってしまうこともあるかもしれません。書く内容についても、自由には選べなくなるかもしれない。

 「人気を出したい」「もっと読んでほしい」「認められたい」そういった気持ちが強くなれば強くなるほど、指は重く、書くという行為は苦しいものへと変わっていくような気がします。私は「私の文章」を書かなければならない。心の赴くまま、自分が「きれい」だと思えるような言葉のつながりを探していきたい。この気持ちを忘れないように私は文を拵えていきたい。

 日々感じた些細なことや、頭にふと浮かんだ創作のアイディアの一片などがこのブログには綴られる予定です。運悪く(良く?)このブログにたどり着いてしまった誰かに少しでも響く文章が載せられるといいと思っています。

(2021年4月16日)

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