近況報告

ノーマスクノーライフ?

 私は、生活の為に人生の貴重な時間を切り売りしている一介の労働者である。通勤には地下鉄を使う。今日ふと駅の構内の広告用モニターを見た時、流れていたコマーシャルの下の部分に「演出上の都合により、マスクは外しております」という文がついていたのであった。

 モニターには女性がどこかのストリートでダンスをしている様子が映し出されていた。確かに女性はマスクを着けていない。しかし、コマーシャルの出演者がマスク非着用だからといって、目くじらを立ててとやかく言う人がいるものなのだろうか。なんとなく滑稽な感じもし、同時に、恐怖で薄ら寒い気持ちにもなった。

 新種の感染症が世界的に流行し始めてはや1年半以上の月日が流れ、マスクをするという行為が常態化した。街を歩いていても、殆どの人がマスクを着用していて、それに違和感を覚えることもなくなった。でもふとした瞬間に、なんとなく居心地が悪いなと感じることがある。同調圧力。私たちは社会にマスクを押し付けられている。

 別にマスクをつけることは悪いことではないし、推奨すべきことでもある。他人に感染症をうつさないように行動することは素敵なことだ。すべきである。しかし、それを過度に強制するような圧力であったり、行き過ぎた監視や暴力は、やっぱり忌むべきものである。私が感じた恐怖や居心地の悪さは、そんな社会的暴力が常態化していることに対するものであり、自分もそれに少なからず加担しているという意識からくるものだと思う。

 私はアニメが好きなので、夕飯を食べながら主に女の子たちが頑張る物語を見ているのだが、画面の中の出来事に違和感を覚えることが最近よくあるのだ。それは、登場人物たちがマスクをしないで生きているということに対する違和感である。「なんで、このこ子たちはマスクをしていないんだろう…」そんな考えがふっと現れ、漂う。そんな自分の考えに気づいた時、わたしは愕然としてしまった。毒されている。現実に。

 私は物語の中の登場人物達には感染症の心配のない世界に生きてほしいし、のびのびと自由意思を発揮してほしいと思う。でも、ふとした瞬間に「なんで、この子たちはマスクをしていないんだろう…」と思う人は私以外にもいるのだろうし、その違和感を「正義」とか「義憤」のような麻薬的感覚と混ぜ合わせることで、激化させる人もいるのだろう。そうでなければ、「演出上の都合により、マスクは外しております」などという、冗談のような注意書きは現れないのである。

 なんとなく息苦しいな、と思う時、その息苦しさはマスクだけに起因するものではないのだろう。今日は、そんな見えない力みたいなものを考えさせられる日だった。さて、視聴者のみなさん。私の下に現れるテロップにご注目。

「諸事情により、マスクを外すことはできませんでした。」

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