『ミス・マルクス』を見て
『ミス・マルクス』という映画を見た。カール・マルクスの末娘のエリノア・マルクスの半生を描いた映画である。
カール・マルクスとは、『資本論』のカール・マルクスであり、「マルクス主義」のカール・マルクスである。娘のエリノアも、父親の思想を受け継ぎ、労働者や女性の権利向上のために闘う活動家である。
劣悪な環境で搾取される労働者達、男性優位社会で虐げられる女性たちの為に活動しながらも、劇作家エドワード・エイヴリングへ愛を捧げるエリノア。しかし、その恋人が金銭感覚も道徳観もマヒしているときている。彼は浪費家で、女ったらしなのだ。
19世紀末、ノルウェーの劇作家イプセンの『人形の家』が社会に衝撃を与え、その影響はイギリスにも及んだ時代だ。目覚めた女主人公ノラは、当時の知識階級の女性たちの活動のシンボルだった。映画の中でも、エリノアとエドワードが『人形の家』の翻案を演じるシーンがあり、劇の後に交わされる会話も含め、この映画の主題と関わる重要なシーンの1つであると私は思う。
43歳で服毒自殺をしたエリノア・マルクス。映画の結末も、やはり服毒自殺である。そして、映画を見終わった後に残るやるせない気持ち。人々を押さえつける大きな枠組みと戦いながらも、「女性」という枠組みから逃れられないジレンマや、活動家として戦い続けているにも関わらず労働者をめぐる問題が前へ進まない失望、こういったものが100分の映像で複雑に絡み合い、服毒自殺という結末に集約していく。大きな力でがんじがらめにされた目覚めた女性の服毒自殺は決して「ロマンティック」でもなんでもなく、深い絶望で私たちの胸を打つのだ。自分を含めた現実の変革は絶望的な営みなのだ。
でも、だからこそ、「幸福とは?」という質問に対するマルクスの「闘い続けること」という答えであったり、エリノアの言う「前へ進め」という台詞が輝きを放つのだろう。闘い続け、傷つき続け、そして最後には毒を煽るくらい自分の思想や主義に対して真剣に生きてみたいと思わせる映画であった。
映画『ミス・マルクス』オフィシャルサイト https://missmarx-movie.com/