『アンナ・カレーニナ』をゆっくり読む 9
浮気の証拠である手紙を妻に突きつけられたオブロンスキー。オブロンスキーはその時、妻にとった自分の行動が許せません。
Вместо того чтоб оскорбиться, отрекаться, оправдываться, просить прощения, оставаться даже равнодушным – все было бы лучше того, что он сделал! – его лицо соврешенно невольно ( «рефлексы головного мозга», – подумал Степан Аркадьич, который любил физиологию), совершенно невольно вдруг улыбнулось привычною, доброю и потому глупою улыбкой.
侮辱をしたり、否定をしたり、弁明をしたり、許しを請うたり、ただ無関心のままでいたり、そんなふうにした方が彼の行ったことよりもどんなによかったことか!彼の顔は全く意図せず(「大脳反射」だと生理学が好きなステパン・アルカーヂイチは思った)全く意図せず習慣化した人の好い、それが故に愚かしい微笑みをすぐに浮かべたのであった。
何か大きな失態をしでかした時に、反射的に笑みを浮かべてしまうというのは、けっこう私としては共感してしまうのですが、皆さんどうなのでしょうか。結局、この微笑みを見た妻のドリーは部屋に籠ってしまいます。
オブロンスキーはここで、習慣化している感じの良い微笑みを浮かべるわけですが、ロシアというものを全然知らなかった私が初めて『アンナ・カレーニナ』を読んだ時に、このオブロンスキーが最初に出てきたため、自分の中のロシア人のイメージは、オブロンスキーに引っ張られていました。(浮気性というわけではなく、表情が豊かであるというイメージです)
なので、周りの人がよく言う「ロシア人は怖い」「冷たい」という言葉が、私には違和感しかありませんでした。それは今も変わらず、ロシア人は必要以上に笑わないだけで、表情豊かな人たちであると私は思っています。必要以上に笑わないけれど、とっさに微笑んでしまうオブロンスキーみたいな人物もいるので、「人によるよね」ということになりますが。
微笑みと言えば、日本人ほど「笑み」をコミュニケーションの中で多用する民族もめずらしいのではないのでしょうか。困った時、恥ずかしい時、どう反応すればいいのかわからない時、とりあえず笑っておけばなんとかなる雰囲気が日本人同士のコミュニケーションにはあるような気がします。日本人のコミュニケーションにおける笑みの機能を調べてみたら面白いかもしれません。なんて、これを読んでいる読者は「何を言っているんだ」と苦笑しているかもしれませんが。
ロシア語原文はЛев Толстой «Анна Каренина»,(Издательство «Э», 2017,p29)から引用
日本語訳は筆者が行っています(翻訳の精度が低いので、誤訳等ありましたらご指摘ください。助かります)
- 現在地 第1部第1節
オブロンスキーは自分の微笑みが許せない