『アンナ・カレーニナ』をゆっくり読む 14
– А? Матвей? – сказал он, покачивая головой.
– Ничего, сударь, образуется, – сказал Матвей.
– Образуется?
– Так точно-с.
– Ты думаешь?
「どうしようか?マトヴェイ?」彼は頭を振りながら言いました。
「問題ありません、ご主人様、うまくいきますよ」マトヴェイは言いました。
「うまくいく?」
「さようでございます」
「お前、そう思うのか?」
小説を読んでいると、色々と使いたくなるフレーズがでてきますが、私が最初にこの部分を原文で読んだ時に、この「うまくいく(образуется)」という表現をいつか使ってみたいなと思ったことを覚えています。
しかし、「大丈夫だよ、うまくいくよ」という言葉を他人にかける機会は思うほどないもので、私はこの言葉を未だに使えずにいます。
このマトヴェイの「うまくいきますよ」という言葉には、おそらく論理的な根拠はないのですが、彼が自信たっぷりにこの言葉を言ったところは容易に想像できます。この、全く根拠のない「うまくいく」という確信めいた言葉に私はなんとなく親しみを覚えます。
これは私の勝手なイメージなのですが、ロシア人は「なんとかなる精神」みたいなものが、他の民族に比べて強いように思っています。とくに根拠は無いけれど、「なんとかなる」。今は何ともなってないけれど、でも最終的には「なんとかなるさ」。そんなメンタリティがあるように思います。
私の好きな表現として「なんとかなる(авось)」という表現がありますが、これはロシア的「なんとかなる」の究極系だと思います。これは「何ともならない状態だけど、なんとかなるよ」を表す表現であり、そこに自分の努力は必ずしも必要とされていないことがとても素敵です。
自分の努力を必要としないといえば、マトヴェイの「うまくいきますよ」と言う表現も、物事がうまく収束することを表現しているだけで、オブロンスキー自身が「うまくできますよ」という言葉を使わないところが、面白いと思います。私たちの意志や行動とは関係なく、世界も時間も進んでいき、私たちの知らない構造が働き、最終的には丸く収まっている。そんな、人間の行動に全ての結果を求めない世界観は、ゆったりとしていて、心休まるものがあるように感じるのです。
ロシア語原文はЛев Толстой «Анна Каренина»,(Издательство «Э», 2017,p32)から引用
日本語訳は筆者が行っています(翻訳の精度が低いので、誤訳等ありましたらご指摘ください。助かります)
- 現在地 第1部第2節
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