『アンナ・カレーニナ』をゆっくり読む 1
正直に言うと、『アンナ・カレーニナ』を原文で読み切ったことはないのです。
時々、雑誌やラヂオなどで、「私の人生を変えた一冊」みたいな企画があるけれど、私がこれといった一冊を選ぶならば、やはりトルストイの『アンナ・カレーニナ』だと思います。
私が高校生の時に『アンナ・カレーニナ』を読んで、大学ではロシア文学をやろうと思ったというのは、直に私を知っている人の間では有名な話なのではないかしらん。「なんで、ロシア文学を学ぼうと思ったの?」というのは、よくある質問。そのたびに、「『アンナ・カレーニナ』を読んでね…」と答えてきました。
でも、思い返してみると、ロシア語の原文で全てを読み切ったことはないのです。途中まで読んだり、好きな場面だけつまみ読みしたりというのはあるけれど、最初から最後までロシア語で読み切ったことはないのでした。
理由はいろいろあるけれど、小説が長いということが一つ。あとは、読んでいるうちに日本語で読む時のスピードにどんどん近づけてしまって、結局ロシア語の意味が取れなくなってしまうというのが一つ。
後者の理由は、けっこう曲者で、「タイパとかいう言葉が流行るせわしない世の中は嫌だな」なんて言いながら、自分も早い時間を追い求める方向へ結局は流されてしまう軟弱者であることを証明してしまっているのでした。
でも、ゆっくりと本を読むという体験はとっても贅沢で、幸せなものです。私は昔、ツルゲーネフの短編を翻訳していた時に、一つの短編作品と、がっつり三週間くらい向き合っていたのですが、テキストの言葉一つ一つが、小説という一つの世界を構築していくのを感じることができたのでした。今まで私が小説のほんの表層しか味わえていなかったことがわかって愕然としたものです。
だから、今年は「まぁ、読み切れなくてもいいかな。人生が終わるまでに読み切れればいいでしょ」みたいに割り切って、『アンナ・カレーニナ』を原文で読んでみようと思います。もちろん牛の歩みで。
さぁ、あまりにも有名な書き出しだけ今日は読んで、あとは明日にまわしましょう。
Все счатливые семьи похожи друг на друга, каждая не счастливая семья несчастлива по-своему.
幸せな家族は皆それぞれ似通っているが、不幸な家族にはそれぞれの不幸のかたちがある。
最初だからたくさん書いてしまいましたが、毎回500字くらいになる予定です。